2012年8月15日水曜日

一歩づつ「進む」ことこそが

(出発地点の 半蔵門駅 ダイアモンドホテル)
                   (地図上では40.7Kmの距離)
                        (神奈川県上陸時)
                   (ここで大谷さんとはお別れです)

                                                 (最後、戸塚駅前での写真)


先日(とは言うものの大分前の)7月29日、MYTランナーズの3人で半蔵門から

戸塚駅まで、アドヴェンチャーランナーの高繁さんと共に走った。

高繁さんは、外大卒業生の現在51歳。前職の教師を退職され、

プロのアドヴェンチャーランナーとして世界5大陸、4万Kmを走破する事を目標に

走り続けている凄い人である

普段のトレーニングは週末に15-20Km走る程度のものだったので

想定距離の40Kmは非常に厳しくなるのではと思っていた。

前半20Kmは体も問題なく、高繁さんや、当日のサポートランナーの

大谷さんや中村さんと話しながら楽しいランが続く。

途中で休憩をこまめに挟み、熱中症予防もしっかりと行いながらの

ランだったので疲弊することは無かった。

神奈川県上陸にテンションが上がったり、新横浜駅に到着したときには

ゴールがある程度見えてきて、気分も高揚していた。

だが30Kmを過ぎたあたりから、徐々に体に変化が生じてきた。

太股の痛み、膝の痛み、脛の痛み、肩・腰の痛み等

体がランを拒み始めてきた。よく「止まると走れなくなる」という現象が

あるが、まさにその状態が30Kmからずっと続いていく。

24時間マラソンのランナーが、終盤に足を引きずりながら走る(歩く)

理由を自分自身がここまで痛感するとは思ってもみなかった。

終盤、戸塚駅まで3Km程に差し掛かった時に、「くま太郎さん」

というランナーの方も加わり、ラストスパート。

その3Kmがこれほど長く感じた事は無かったし、

満身創痍の体はすでに限界を超え、痛みと闘いながらのランだった。

最後ゴールした時はこれ以上無い達成感と、充実感に包まれて

自身が走った46.7Kmが長く、そしてあっという間だったという

矛盾した思考の中、立ち上がる事さえ困難な状況で、地面に崩れ落ちた。

そんな中、高繁さんは涼しい顔で「ではまた!」とホテルに戻って行かれた。

今まで何千Kmと走ってきた人の脚力に驚きつつも、

自分の夢に向かって覚悟を決めた男の後ろ姿は非常にカッコ良かった

事を覚えている。

ランの後の「麒麟フローズン生」の味は本当に最高だった!


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高繁さんのランのポリシーは「焦らず、ゆっくりと」らしい。

早くなくても、長く、そして確実に歩を進めればゴールに辿りつける。

それが高繁さんのラン人生で得た教訓の一つだった。


話は変わるが、先日のオリンピックで卓球女子団体で銀メダルを

獲った福原愛選手の一言が印象的だった。

「 私は、このメダルを取るのに(卓球を3歳で始めてから)
20年かかりました(笑)。20年かかってもあきらめないで、
目の前のことをコツコツと頑張れば、夢はかなうものなんだということを
今回、本当に強く感じました。」

一歩一歩自分の信じた道を進んで行けば、目標は達成できる。

二人に共通している部分は強い信念と志がある事。

そして自分の人生における目的やゴールが明確な事だと思う。

 自らももう一度自分の目標・夢を明確にし、

それを実現しようとモチベーションが上がった。