2015年12月28日月曜日

与えられた場所で咲く

                                  in spring
                                  in summer
                                  in autumn
                                 in winter


本題に入る前に、自分の好きな野付牛大橋から見下ろす公園の四季折々の表情を楽しんで頂きたい。

時間が経つのは早いもので、こちらに異動になってから1年8カ月となった。

ブログを書く機会が減ると、一体何を書けば良いのか分からなくなる・・。

最近、非常に大切だなと思う事が1つあって、それは

与えられた場所で咲く

という事だ。


その環境が自分の望んだものであっても、そうでなくとも、

与えあれた環境でベストを尽くし、結果を出せば

見てくれる人も増えるし、助けてくれる人も増える。

それはここ北見の地で、実体験として肌で感じている。


嘆くのは簡単だし、諦めるのも簡単。

人のせいにしたり、環境のせいにするのは楽だ。

辛かったり、逃げたくなる事なんて日常茶飯事だ。

でも、最後は「自分はどうしたいのか」という意志が

大切なんだと、改めて思う。


遠くにあるキャリアを見つめながらも、

一歩一歩地に足を付けて、地道に進んでいければと思う。


与えられた場所で咲けない人は、

どんなに良い土壌(環境)でも咲けないのだから。












2015年4月2日木曜日

北見2年生の春



好きな言葉がある。

”逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。
 要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた
境涯に素直に生きることである。
謙虚の心を忘れぬことである。
素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、
順境は自惚れを生む。
逆境、順境そのいずれをも問わぬ。
それはそのときのその人に与えられた一つの運命である。
ただその境涯に素直に生きるがよい”

- 松下幸之助-

北見に来てから丸一年が経過した。

世の中は桜が咲き乱れ、春の訪れを喜ぶニュースで

溢れかえっているが、こちらはまだまだ寒い。

この1年は実際あっという間に過ぎていった気がする。

振り返ってみると苦しかった事が多かったが、

ビジネスマンとして、またひとりの人間として

成長出来たと思う。

スキルや能力の部分は然ることながら、

一番は精神面で強くなった事だと思う。



今年2015年は自身の中で”大人の言動”をテーマに

しているが、それはどんなに多忙の中でも焦ることなく、

冷静に物事を判断することや、落ち着いた対応をする事、

またどの環境下でも感情をコントロール出来る事だと思っている。



この一年は本当に忙しく、プレッシャーもあったし、

様々な面でストレスの多い環境の中仕事をしてきた。

その中でも精神的にも肉体的にも壊れずやってこれたのは、

自身の「物事の捉え方」を常に前向きに保つ事が出来たからだ。


自分自身の経験を美化するつもりもないし、他と比較する

事もしないが、自分はただこの1年をそのように捉えただけだ。


こちらに来て良かった事も沢山ある。

人との出会いや、綺麗な景色、美味い料理、、、。

そして花粉が少ないので非常に暮らしやすい。

夏はムシムシせず快適だし、冬はマイナス15℃でも

暮らせる体を手に入れた(恐らく)。


ここでは書ききれない程の事を感じたし、

考えて、行動してきた1年間だった。


冒頭の松下幸之助さんの言葉は手帳の一番最初のページに

貼ってあり、いつも戒めに眺めている言葉だ。

今与えられた環境の中で、自分が出来る事を考え、

それを地道に実行していく。その繰り返しの中で、

ふと立ち止まって周りを見渡した時に、意外と自分が

前に進んでいる事に気付く事は多い。


意外とこの事に気付かず、物事を悲観的に捉えて

自分だけが悲劇のヒロインだと思っている人は多いのではないか。


そこから抜け出すには、逃げずに取り組む事だけだ。

苦労してようやく手にした小さな成功体験がその後の指針となる。


あとは、周りに良い仲間がいるかどうか。

幸い自分の周りには遠く離れても高め合える仲間がいる。

そういう良い友人がいる事に感謝しなくてはいけないと思う。


1年が過ぎた感傷に浸っている場合ではない。

また今日から”北見2年生”としてひとつ前にすすんでいこうと思う。







2015年3月29日日曜日

”本業”のサービスの重要性



北海道の営業と言えば、専ら車を使う事が多い。

いや、車が無いと営業の仕事が成立しないのである。

1日平均約100km、多い時で200km以上運転する事もある。

車を使う仕事なので、当たり前だがガソリンスタンドも良く使う。

北海道は完全なる車社会の為、皆車を保有し、それに比例するように

ガソリンスタンドの数も日本一なのである。
(資源エネルギー庁調べ:http://www.sekiyu.or.jp/topics/data_a.html)

自身が働く北見市内だけでも、通常のスタンド・セルフ式スタンドを

含め多数の給油所が存在している。

各スタンド毎に「レディースデー」を設けたり、モーニングサービスとして

缶コーヒーを配ったり、面白いPOPで来客を促進したり、

洗車サービスに力を入れていたり、その色は様々である。


自分が給油する際、会社と提携しているブランドの給油所を使うが

場所は特に決めてはいない。それはガソリンが無くなってきた時に

給油する為、場所が分散するという事もあるが、そのサービス自体も

「どこで入れてもほぼ同じ」だから、という理由が大きい。


しかし、唯一「ここに行ったらこのスタンドを使おう」と決めている所がある。

そこは網走に位置するENEOSのスタンド。

きっかけは偶々ガソリンが無くなり、その給油所に入った事。

いつも通りガソリン満タンを告げ、その日は車が汚れていたので

併せて洗車も依頼した。

全てのサービスが終わり、いざお会計という時に、

スタンドの従業員さんが「エンジンオイルが汚れていますけど交換されますか」

と聞いてきた。車検も近かったので、「結構です」とその場では断ったが

嫌な顔一つせず「また何かあれば」と気軽に話せる雰囲気だった。

そして帰り際、スタッフが(良く訓練されているんだろう)並んで

深くお辞儀をしながら見送ってくれた。非常に気持ちいい接客だった。

2週間後にもう一度そのスタンドに寄る機会があり、

その日もガソリン補給と洗車を依頼した。

そうすると「以前もこちらで燃料補給をされましたよね。

また車のチェックをしましたが、やはりまだエンジンオイルが

汚れているようです。」と指摘をしてくれた。


自分は営業としての仕事柄色々な人と接するが、それが

本当に顧客の為のものか、押し売り等の強引なものなのかは

判断出来る。このスタンドに関しては少なくとも前者だと思った。

本来スタンドは給油に来たお客さまには給油を、

洗車をして来たお客さまには洗車を行うもので、それ以上求めてはいない。

というよりも、自分の車に何が不足して何が必要か”理解していない”のである。

プラスの提案を押しつけがましいと取る方もいると思うが、

きちんと車の状態を見て、提案してくれる姿はプロだと思った。


ここでタイトルに戻るが、"本業”のサービスの重要性とは、

例えばガソリンスタンドだったら、車に関するプラスの提案や提言

をする事や、気持ちの良い接客、仕事の早さ等、

本来の業務を徹底的に突き詰めた先に生まれるものが

本当に重要な事だという事。

来店で物が貰えるのも嬉しいし、価格が安い事も勿論重要。

でも、もう一度行きたいと思う場所は「ここに行けば安心して

車の事を任せられる」と思う所なんだと思った。

これは自分の仕事にも置き換えられる事。

上辺だけの知識や使えない資格をやみくもに持つのではなく、

本業の仕事に真摯に向き合い、必要な能力を深掘りして伸ばしていく。

その地道な努力の先に、信頼と成果があるのだと思う。


結局、どの分野でも本質を見極め追及していく事が大切なんだ

という事を、ガソリンスタンドでのサービス体験から気付かされた。







 

2015年2月7日土曜日

Do not live in someone else's life

他人に腹を立てたり、他人の言葉で一喜一憂したり、

それにいつまでも固執して腹を立てたり悩んだりする事は

社会人生活を送る上ではよくある話だ。


ここの様な小さなコミュニティーでは、特に「人の目」を気にする、

というよりも自分が「輪」から外れないように相手に合わせる傾向

があるように感じている。


そのような世界では誰も責任を取りたがらないし、

自ら損な役割を買って出る人なんていない。

日々、平和に何事も起こらない事を願って生きている。


それが悪い事とも思わないけれど、

いちいち小さい事を気にしていいては、大成はしないだろう。


自分が誰かに言われた事で傷ついたり、その事で悩んだり

腹を立てたり、クヨクヨとしている時、精神はその「誰か」の人生の

中で生きてしまっている。

そこから脱する為には、自分の人生を生きるしかない。

即ち他人の意見やアドバイスは謙虚に受け入れながらも、

強い「自分」という軸を持ち続けることだろう。

 そうすることで精神的に、他人の人生から解放されるんだと思う。




意外と他人の人生を生きている人は多いのではないだろうか。

自身もこの環境を修行と思い、その中で自身の成長を楽しんで

日々過ごしていきたいと思っている。


こちらに来て、何もない分、悟りが啓けたのだろうか。